延期になった鹿島台復興収穫祭と水害の記憶

【悔し泣きした日】
水害から丸一年がたった。
11日に大沼ファームへ漬物の手伝いにいってて、翌日台風直撃からの13日朝に吉田川が決壊した。
水位が高いところは2mを超えていたとか…
水が引くまで待った。
本当はすぐにいきたかったけど、素人がしゃしゃりでて余計に手間取るのも迷惑になりかねない。
その間、私にできること。私にできること。私にできること。
そればっかり考えていた。
できることは炊き出しくらいしか思いつかず…
行けば何かしら私ができる作業もあるだろう。
そう思って本当は一人で行こうと思ってた。
あのときどうしてほかの人を誘おうと思ったのか思い出せないけど、FBでボランティア行くけどだれか一緒に行く?って投稿してみたんだ。
そしたら、便乗してくれる人がいた!
とっても心強かった。たどり着くためのルートを教えてくれて、乗り合わせで現地に行くことができて、重油をかぶった籠洗いをしたり、畑のごみ拾いをしたり、炊き出しをしたりして、わかんないながらにせっせと何かをしていた感覚しか記憶にない。
私が刻んだ漬物たち約8キロの野菜たちは冷蔵庫ごとひっくりかえってダメだった…
道々、大郷から鹿島台まで見たことがない状況になっていた。
人生初の災害現場。
とってもショックだった。
だって、11日に私はここにいたんだよ。
漬物刻んで、いつも通りにお手伝いして…
あの日、ファームのお母さんに昔の水害にあったときのことを聞かせてもらってた。
家畜が流されてきたとか、昔の写真はほとんどないとか…
そんな話を聞きながら、現実に起こらないと思い込んでた。よくある昔話を聞いてるだけの光景を、ただ体験しているだけだって思ってた。
それが13日には話の状況がまさに起こって、ハウスの支柱が場所によって全部なぎ倒されていたり、アスファルトがめくれていたり、田んぼの真ん中に大きな穴が開いていたり…
私が現地に入ったときは自衛隊がいて、家財道具は道路に並べられて、道路は泥っぽく埃っぽい。空気も埃っぽかった。
田んぼの真ん中に居座る軽トラ、コンテナ、ごみ。
ゴミ置き場になったグラウンドには、テレビでしか見たことないごみの山ができていた。
ああ、テレビで見たことあるやつだ…
そんな夢でも見てるような感覚さえあった。
畑のごみ拾いで見つけたごみは、生活感があふれていた。だれかわからない子供の名前がかかれた教材。学校の名簿(最寄りの学校に連絡して教委に引き取りに来てもらった)。衣類。新聞を丸めたものが一番重かった。靴もあったな。
今も順次、家屋の取り壊しが進んでる。
たわわに実る稲穂たちの風景に、取り壊される家屋があるの。
これが復興っていうのかなって、なんとなく解体を進める重機を眺めてるんだ。
私はいま、漬物加工場の手伝いをしてた大沼ファームで、水害後にまた手伝いをしてる。
水害にあうまえのことを知っていて、水害の状況も知っていて、復興している現在を見てる。
これだけ復興したよ!
作物生き生きしてるよ!
鹿島台の再生を見続けてきて、来年こそは収穫祭を開催したい!って、やっぱりそう思っちゃうんだよね(笑)
どこから込み上げてきたかわからない悔し涙。
絶対!無駄にしたくない!
ファームにいってジュースもらってウキウキしてるやつが、何言ってんだって思うけど(笑)
好きなおかず詰めて、昼休憩にウキウキしてる。
ファームのお母さんから社長の愚痴を聞くのめっちゃ楽しい(笑)
社長が機械に怒ってるのも面白い(笑)
社長とお母さんと、無口な男性スタッフと4人で畑仕事に行くと、「あぁ、農家の嫁ってこういう気分なのかな~」って、不思議な感覚を体験してる。
でも、農家の嫁はぜったい嫌(笑)過酷すぎる!私って温室育ちだから家業にして休みがなさすぎるの無理だし(笑)
手伝いに行ってちょっと収穫に出て、ひたすら出荷の準備をしてるぐらいがちょうどいいみたい。
農家の嫁ごっこだけ楽しんでたらいいのよね。
ファームは私の学びの場だと思ってる。
一人一人からいいところを吸収して、来年の私に活かそうと思う。