2020.3.11の記憶

献灯、黙祷の時間。

ちょうど、ともしびに取材が入ってた。

お話聞かせてくださいと言われたなかで、涙を流されていましたが、どんな気持ちで涙を流されましたか?という質問に、【涙が流れることに意味がいるの?】と思った。

実際、思いを馳せたわけでもなく、酷く悲しんだわけでもなく、ただ涙がこぼれただけだったから、意味を求められたことに困惑してしまった。


なんて答えれば正解だった?


そんな考えがちょっと私の中でめぐった。


私の住まいは内陸だし、なんなら震災で何かあったわけでもない。避難したていど、ライフラインが1週間くらい?途絶えていたぐらい。食べ物にも困らなかった。仕事もないし、学校もないし、家でずっとポポポポーンを聴いて過ごした。


だから、震災の話があまり出てこない。

むしろ、私が話すことじゃないとさえ思う。


内陸なのにどうして今日はこちらへ?


とも聞かれた。

震災で何もなかったことに気づいたのか、そんな質問をされた。


なんで?


なんでだろう?


よくわかんないけど。

きたいと思ったから、来ただけ。

友達がここにいるから、3.11の祈りの時間が好きだから来た。

この日、この場所で、この人たちと、ここにいるっていう時間が好きなだけ。


だから、どうして?って聞かれることに、???????ってなる。


この1週間で、行きたいと思ってたところにも行くタイミングが巡ってきたし、会いたいと思う人にも会えた。食べたいと思ってたものも食べることができた。


3.12

11日を乗り切って、またこの世界に生を受けた気分になるといっている人がいた。

お誕生日おめでとうと伝えたことがある。

亡くなった人は、次の生へ。

姿形、種族も違うかもしれないけど、魂の再会が果たせますように。


今日は生まれたばかりで疲れていると思うので、心穏やかに過ごせるように、ときどき深くゆっくり呼吸を繰り返してください。


🙏