選択肢の無い選択
過去の話を見つけたのでコピペ。
以下、去年の話。
笑いを誘う声の出なさ。*ひどい風邪をひいてましたw
卒業用の寄せ書きに使うらしく、一人一人写真をとるんだとかで、『恥ずかしい!』と言いながら、すました顔をしてみせる。
無駄な抵抗はよせ!!
あんたは誰かと対面した時、とりあえずニヤッとするタイプなんだから(笑)
ついつい愛嬌よくしちゃう息子。
そして『笑って!!!!』
って言うも…言えてない(声が出せてない)私に、『ずるい!!』と吹き出す息子。
どうしたって笑顔になるわ(笑)
すまぬ。
このタイミングでの風邪は、私だってどうしようもない(笑)
学校に提出する写真だけど、囚人みたいな写真よりもこっちのほうがいいよね!
2年学校にいかなかった息子。
行かない選択をした息子を、息子の感覚の基準に合わせてみたら、これだけ笑うようになった。
千佐子先生のワークを受けた時、子供とエネルギーを合わせるって話があった。
きっと不登校も同じなんだと思う。
『今、苦しい』を優先して今を生きるのか、それを後回しにして《今、起きてない何か》のために『今、無理する』選択を迫るのか。
どうする?って聞くことが、すでに責められていると感じるのかもしれない。
選択のない選択肢
エネルギーを合わせたら、行かせなきゃいけないと親自身が迫られる状況も、少し柔らかくなるんじゃないかな。
学校に行くのが当たり前で、行かないことがダメで、行かせないことがダメと言われる《優しくない当たり前》に、どうしても振り回されて苦しむ親がいて、子供もいる。
当たり前に反抗するときがきた。
否定ではなく、私はそれを当たり前と思いたくないだけ。
受け取り方が屈折してるときは、どうしたって届かない言葉も感覚もある。
優しくない当たり前を手放して、解放されてほしい。
その時見えた景色から、また始めればいい。
明日、死ぬかもしれないんだから。