否定と一人暮らし
弟とこんなに電話したの初めてかもしれない(笑)
電話をきった時間は夜の0時。
もう寝ようとしてたタイミングでの連絡から、混み入った話もあって電話をすることになったんだけど、次から次へと話題がとんで気づけば1時間半も電話していた。
本家の空き家をどうにかしたい。
という内容を話していたのに、いつのまにか親世代の頭の固さに話題は移り、弟が家を出る決心をしたのは親との関係性にあると知った。
私だけが親との関係性に違和感を感じているわけじゃなかったと知って、なんかホッとした感覚になったのを、半分寝ぼけながら感じていた。
「なんで実家にいるのかわからない」
弟が私にいったセリフ。
私もそう思う(笑)
でもまぁ、現実的に出費がすべての現実世界で、実家にいるほうが楽っていうのは、私の場合そこだけ重要視して実家にいるわけで(笑)
いろんな家の”親”の話を聞くと、もう”そういう人だから”で済ませちゃった方が、物凄く簡単。世の中の毒親って呼ばれる人が、いったいどこまでをいうのか…
社会一般的にあるルールから逸脱してる人を非常識というけど、それだって常識を貫く人が素晴らしいというわけじゃないと思うし。
本家の空き家をどうするかっていう話で、弟は《私ならこう使いたい》という話を、うんうんと聞いていた。
たぶん。私が言っていることや、思い描いていることが想像できてるうなずきだったと思う。それを同じく父に話したら「ありえない」で終わった。
ありえなくない。
なぜなら、すでに一緒にやってくれる人を見つけているから。
父のあり得ないは、父の知り合いの中ではそういう人がいないというだけ、父の経験上そういう出会いがなかったというだけ、だから父の言うありえないは何の根拠もない父の物差しでしかない。
ちなみに、母も似たタイプで、自分が見たり聞いたりしたことでさえも、自分の物差しから逸脱していることは、すべて認めない。
弟が実家から出た理由は、まさにそこだって話だったけど、きっと親たちは知らないと思う。知らないというより、なぜそれが出ていく理由になるのか理解が出来ないと思う。
次世代との格差って、いつの時代も変わらない伝統のように受け継がれてると思う。
自分で変えようと思わない限り、ずっと繰り返されること。
でも。回避しようとして回避できるものじゃなく、形を変えて思考のズレは続くから、自分が自分と違う物差しの人とどう向き合うかは、いつまでも課題としてたくさんに人に降りかかると思う。
ここ数年で、私は母に「あんたが言うな」といえるようになった。
ヒステリックな癇癪もちの母と、正面切って立ち向かうのは本当にエネルギーを使うし、物凄く削られる。だからずっと言われるままにストレスをためて、自分を切ってみたりしてたけど、歯向かって大丈夫だったね。
その方がよかった。自分のために(笑)
弟に限らず結婚適齢期がそろそろっていう友達たちも、両親の姿を見て結婚のイメージが悪すぎて、結婚を口にはするけど積極的にしようとはしない。
両親との関係性に、奥さんを巻き込みたくないという配慮すらある。自分が感じてきたこと、感じていることを、わざわざ好きな人に体験させたくないとか、自分が少なからず同じことをするかもしれないという恐れからも結婚を遠ざけているのかもしれない。
息子や娘がなかなか結婚しない理由について、少しでも謎が解けてくれたいいな。
すべては違うようにみえて、鏡である。