屍たち

私の10代は周りに流される自ら選択をしない子供だった。

 

右に行くと言われれば右にいき、左に行くと言えば左に行き。

 

だから、学校に行かない事、高校に進学しないことを選択した10代の息子にたいして、選択する10代という生物的な生態や思考がときどき謎だったりする。

 

私は今でこそ自由奔放にあちこちへ飛び回って仕事や交流を広げているけれど、それだって30代半ばにしてやっとやれるようになったぐらいで、それまでは【生きた屍】同然だった。

 

本心じゃない返事をして生きていた。

「はい。はい。」

その不満は大いにたまり、どこかで何かに当たるわけで…

 

悪循環な生きた屍だったなぁ。

そんな屍時間の中で漂っていた私にしてみたら、学校というものから離脱する選択をしただけでも凄いと思うんだけど、でも「やりたいことを見つけるわけでもない」という息子の現状は「無駄に屍」だと感じてしまう。

 

保守的な人たちの中にいると息が詰まるらしい。

私がかってに感じた息子の様子というだけのことだけど(笑)

 

祖父母は「生きる屍」代表

周りの目を気にして、みんなと同じじゃないとダメを推奨している。

どんなに理解を示していても、結局はそこが強く出てくる。

上っ面の理解に、息子が疲れるのか?

私がしばし不在にして帰ってくると、たいてい激落ちの世界の終わりを迎えたようなネガティブオーラをまとっている。

「おいおい。何をどうしたらそうなるんだ?」と、私は内心「えー💦またなのー💦」と思うわけです。

 

優しすぎて祖父母も好きだから、むげにも出来ないという意識からきてるのか…

ヨシヨシってされるだけの中にいると、そこで止まっちゃうよ。成長痛もなしに内面は大きくはなれない。

 

とりあえず、柱の陰に隠れながら「ゴジラ見に行ける?」って聞かれても、全然なにいってるか聞こえないよ!!