何もしない。は、してあげたいの内。

誰かのために何かをしてあげたいと思う気持ちを止めることはできない。

それが誰かのプラスになることじゃないとしても。

 

誰かのために何かをしてあげたいと思う人は、その人にプラスに働くことを選択していると思いこんでいる。

それは《何もしないでただ見る》ということも含まれてるんじゃないかなぁ。

なんて私は思ったりする。

 

その子のためになることを選択して《あげている》

自分がそうしたいと思って《してあげている》は、行動を前にして【動】と【静】どちらも存在していると私は思う。

それは、【動・与える】と【静・見守る】に置き換えると、どちらも《してあげたい》の先にある行動のように感じる。

 

原理は一緒。っていう話をつい先日したところだったけど、表現ややり方を少し変えただけで、そもそも変わらないものは私の中でとても多い。

そうして見つけたものは、誰かのしてあげたいに対して、止めるという選択肢はなくなり【してみたらいいじゃない】というところを落としどころとした。

それを受け取る相手は、【受け取ったらいいじゃない】そのあとのことは受け取った本人が決めること。誰かが受け取ることを代行しなくてもいいし、コントロールしなくてもいい。

 

それが後に《してあげたい》が姿を変えて因果になったとしても…