外の世界を待たせてる!

我慢しなければいいじゃんはある意味卑怯な言葉だけど、我慢しなくていい頑張らなくていいちゃんとしなくていい環境を手に入れることが出来たら、それはそれで幸福論としては説得力が急に跳ね上がるわけで…

 

じゃぁ、我慢しなくていい環境をどうやって手に入れるのかってことなんだけど。

 

我慢を強いる相手がいたとして、その人をどうにかすれば頑張らなくてよくなるって発想は、もちろん当然のように思い浮かぶんだよね。

でも、自分を簡単に変えられない事実があることに気づくと、誰かを誰かの意思で変えるっていうのは、それはそれはもっと難しいことだって気づいちゃうと思うの。

 

こういうときに、自分が変われば相手もかわるってちまたでよく聞くセリフを持ってくると、感がいい人はなるほどなって気づく。

 

自分のとらえ方、受け取り方がかわると、相手が同じことをしてきたとしても、前ほど気にならなくなったり、自分を不要に責めたりしなくなるんだよね。

イコール相手が変わったと感じる瞬間なのよね。

 

我慢を強いる相手がいたとして、自分のとらえ方がかわったら、同じように言われてもなんか大丈夫になっちゃう。

何かを強いられやすい人は、もしかしたら以前にも書いた【自愛】の不足が招いてるのかもしれないと思うのだけど…

【自愛】って、ようは回避能力の向上だったり、それに通じる感度をあげることでもあるから、「あれ?この人。前はすごくいい人に感じていたけど、もしかして私の事都合よくコントロールしたいだけなんじゃ?」とか。

 

《あれ?》

 

っていう違和感を、前とは違うポイントで感じるようになるから、余計に傷つけられたり、余計に我慢しなくてよくなるから、あれ?の時点で身を引くなり、しっかり断るなり、意思表示がとれるようになってくるんだよね。

 

我慢しない環境を手に入れるは、自分を大切にすること身に着けて、心と体の感度を磨くこと。

 

ただ、そこに気づいちゃうと、身の回りがいかに自分に優しくないかってことに気づくし、思っていたより優しいってことにも気づく。

ずっとどっちもあったけど、見分けがつくようになるんだなってわかってくると、なんだかちょっとゆったりとした気持ちになれるんだ。

 

さて、どうやって【自愛】に目覚めて、感度を磨くかなんだけど…

 

それは、普段の自分に隠されている。

自分が隠してるっていってもいいかもしれない。

こうなると今度は【思考癖】から抜け出せないってことがキーになる。

それも前に書いた気がするな(笑)

 

環境って、自分次第でいくらでも抜け出せるし変えられる。

変えられないと思うのは選択肢がせまいせい。

外に出よう。

自分が思っている以上にもっと広い外へ!